
2010年04月12日
日々のコラム50 自分をブランディングする

同業他社との違いを差別化するのに
もっともわかりやすい方法。
それは
その商品を売るオーナーや店長、バイヤーを
ブランディングすることである。
例えば
最近、「名学館」という塾を開校した
松下一徳さんは実にブランディングがしやすい。
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「掛川市教育委員」という大役を務めている彼は
この職務に関わることで大きな志が芽生えた。
「掛川の教育現場をもっと良くしたい」
百人いれば百通りの教え方があると持論を持ち
自分の教育方針を確かなものにするために
塾を開業することを決意した。
そもそも「教育委員」に任命されたのは
「掛川青年会議所」という青年実業家の団体に所属し
理事長になった年には
地域に貢献する素晴らしい活動を行った実績をかわれてのことだった。
「まっちゃんに頼まれたなら…」と言って
地域の青年実業家を一体化できたのは
まさに彼の「仁徳」によるものである。
あんなに男に好かれる男に今まで会ったことがない。
「教育委員」だからこそ
教育関係の人脈もあり講師もエキスパートから
生徒と年が近い静岡大学学生まで幅が広い。
彼の塾に所属すれば
「学校の成績」という通過点だけでなく
人生においていつまでも大切な
「人を敬う心と人間力」が身につくだろう。
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他の塾との大手塾との違いが
歴然とすると思うが。
比べてみると…
松下■掛川生まれ掛川育ちの現教育委員が塾長
大手■?????????????
松下■掛川を良くするために良い人材に育てたい
大手■?????????????
松下■一人一人にわかるまで。百人いれば百通り
大手■大勢でわからなかったら復習・予習をしてほしい
まだまだあるけれど。
同業他社との差別化
個人のブランディングのわかりやすい例でした。
例えば私が自分のプロフィールを書くとしたならば…
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1969年生まれ
同じ年の生まれには福山雅治、橋下徹
同学年には桜井和寿さんがいる。
遠州森町の生まれで
森の石松に憧れて
将来は石松みたいに?なりたいと思っていたが
途中、ルパン三世や冴羽僚のように
決めるとき決める男への憧れをへて
坂本龍馬先生を目指すことを心に決める。
菊川中学時代は野球部のキャプテン
掛川西高校時代も野球部に所属。
投手、捕手、外野手など
様々なポジションを経験したが
三年の夏はライトで5番打者としておさまる。

大学はまともに受けても合格しないから
推薦で、あの浅田真央ちゃんが現役でいることで有名な
中京大学の法学部にすすむ。
この頃から音楽活動を活発にしだす。
オリジナルを引っさげて
名古屋のフォーク喫茶に出演していた。
就職はどうしてもマスコミに行きたくて
テレビ局を何社か受けたが受かるはずもなく
浜松の「タウン情報はままつ」というタウン誌に入社。
「タンはま」の売り上げが過去最高を記録するなど
タンはまの全盛期を支えたのではないかと自負している(笑)
我々が考え出し膨らめた企画の「デート本」は
今でも発刊されひとつのブランドを構築している。

タンはま時代に佐藤伸行に出会い
音楽活動にかなり力を入れていく。
結成したバンド「レゾンデートル」は何度も音楽コンテストの
静岡県代表の座を手にし自主制作CDも発売した。



↑左の女性は下平さやかアナウンサー
やがて音楽では食っていけないことを悟ると
「銀座ライオン浜松店」で働くようになり
外からばかりでなく内側からみた広告や
飲食店を支える内部の細かいシステムを勉強する。
その後、離婚を経験し実家のある菊川に戻る。
離職している間にウェブ関連の学校(大原専門学校)に通い
ホームページやeコマースに関する基礎知識を学ぶ。
掛川に戻ってからは
長く掛川から離れていた遅れを取り戻すために
3年間飲み歩きの生活をおくる。
その間に「地元のタウン誌がほしい」という要望を耳にするようになる。
ハローワークの相談員に独立開業の相談をするが
「浜松や静岡と違って掛川じゃ成功しない」とダメだしされた。
でも「自分ひとりならやっていける気概で奮闘すれば必ずやっていける」と
熱い想いを胸に遠州ナビ発刊にむけて取り組むのだった。
2004年12月1日に遠州ナビを創刊。
最初のページ数は16ページ。
ほとんど知り合いのお店だけで構成されていた。
今では社員7名、遠州ナビページ数は200ページ弱。
2005年の秋には幹事帳を創刊。
2009年の秋にジモティ掛川を創刊。
来月、女性のための専門誌「comachi」を創刊予定。
2008年には
ひょんなことから地域の青年実業家の集い
掛川青年会議所の理事長を歴任。
その経験を活かして
空港のパネルディスカッションや町おこしの講習会講師も経験。

とにかく「暗闇のまどろみの街を目覚ましたい」と
邁進する40歳一児(1歳9ヶ月)の父である。

↑熊野古道、大徳を抱いて登る
写真が入ると見やすく楽しく
目を引きます。
説明力も増します。
これも大切なブランディングですね。
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こそばゆくなるけど
これぐらい書かねばならんですよ。
Posted by 遠州ナビ山下隆宏 at 23:34│Comments(0)
│山下隆宏日々のコラム