2006年11月28日
無間の鐘。
遠州七不思議 文/石野茂子さん
無間の鐘物語
掛川市の北東部に粟ヶ岳という山があり、別名を無間山とも呼ばれています。聖武天皇の、天平年中(七二九〜七四九年)のこと。
粟ヶ岳のふもとに菊川の里という村がありました。その村を菊川という川が流れており、滝には仙人が住んでいました。名前を弘道仙人といい、とても信心深い仙人でした。
仙人は信仰している不動明王に誓いをたてて、鐘をつくって供えようと思い立ちました。そこで、小さな釣鐘をつくり、粟ヶ岳の頂上の古い松の枝につるしました。そして、「この鐘の音によって、世の中が平和で人々が幸せに暮らせますように」と願いをこめました。
それからこの鐘は「無間の鐘」と呼ばれ、鐘の音は遠州各地へ広く鳴りわたりました。村人たちは、その音色を聞くたびに心安らぎ日々の喜びを感じていました。しかし、いつのまにかこんなうわさが流れるようになりました。粟ヶ岳の釣鐘を
一度つくと、災難をまぬがれる。
二度つくと、病難をとりのぞく。
三度つくと、家が栄える。
四度つくと、運が開けて出世する。
五度つくと、子孫まで栄える。
六度つくと、武運長久となる。
七度つくと、末永く長者になれる。
うわさを聞いた人たちは鐘をつこうと、山へ登りはじめました。粟ヶ岳への道は狭くてけわしく、足をすべらせて谷底に落ち大けがをしたり、死ぬ人さえありました。そのうち「地獄へ落ちる鐘」といわれ、恐れられるようになりました。小鮒川のほとりに、とても欲張りの長者が住んでいました。あまり欲が深いので人びとに荒石長者と呼ばれていました。長者も末永く長者でいられるようにと鐘をつきに粟ヶ岳にのぼりました。やっとの思いで頂上に着くと、松の枝にさがった鐘を思いきりつきました。その勢いで足元がくるい、岩山をすべって、そのまま地獄の底へと落ちていったのでした。そして、あわれな最期をとげました。
時が流れ、天録二年(九七一年)のこと。
頂上の観音寺の和尚さんは、鐘を見て嘆きました。「罪深い人がこの鐘をついて不幸を招いているとはいえ、弘道仙人の意を反しておる。この鐘があるために、多くの人びとをまどわし、罪をつくっている」そして釣鐘をはずして、頂上にある深い井戸の底へ埋めてしまいました。そて以来水が出なくなり、「無間の井戸」と呼ばれるようになりました。
こんな話も
あなたは地獄の誘惑に負けない?
「無間の鐘」伝説とは、この鐘をつくと、現世では長者になって裕福に暮らせるけれど、死後、無間地獄におちて、絶え間ない責め苦にさいなまれるというもの。すべての食事が蛭(ヒル)に変わると伝えられています。いまが満ち足りていれば、後はかまわないという風潮は、現代だけのものではないのですね。粟ヶ岳の山頂近くの原生林の中には、この「無間の鐘」が投げ込まれたという井戸跡が残され、遠州七不思議のひとつに数えられています。
伝説は様々です。今日も徹夜だ〜
おっと、JCの林さんと、理事長から電話だ。
明日、〆きりだけど…
Posted by 遠州ナビ山下隆宏 at 22:58│Comments(0)