日々のコラム41 掛川の失敗=街中の嘆き

遠州ナビ山下隆宏

2010年03月25日 20:07


掛川は報徳が根付く道徳観溢れる人々が住む
素晴らしい街である。

静岡県内には浜松、静岡、富士、三島、熱海と肩を並べ
新幹線の駅を有すること。
東名高速のインターがあること。

総木造りで掛川城を
再築したこと。

昭和54年に全国ではじめて
生涯学習都市を宣言したこと。


スローライフ宣言都市でもある。


ポピュラー音楽の聖地
つま恋もある。



ただひとつ淋しいのは
駅前の元気がないことだ。
駅前に行く理由がないのだ。

私が幼い頃は
掛川に行くときは必ず親に
「街に遊びに行ってくる」と言って出掛けた。



あの頃の掛川には
ワクワクする何かがあった。
駅前のジャスコ
ユニーが撤退し駅の真ん前が空き地(駐車場)になってしまった。
なんとも淋しい風景。

人が集まる核を失った街中は
更に市役所の移転で
加速をつけて街中商店の需要を減らした。

市役所には300人の職員がいた。
三の丸にあるときには
それなりの買い物をして帰ったし
将来のことを語りに街中に呑みにいったという。
市役所に用事があるからくる市民も
「街中に行くならついでに」と
買い物をしていったという。

後継者は、街中商店街は
やっていくモチベーションを失い
多くが街中を捨てた。


中途半端な城下町白壁づくりでは
観光客を呼べない。

高山や長浜のように
昔ながらの道幅で
古い街並みが残っていればよいが
そんなものはとっくの昔に捨ててしまった。


この街中はこれまでの政治家や商工会議所の中心人物のやり方で
こうなってしまったのだ。

だから
今までやっていた街中の市議会議員や
商工会議所に関わる中心人物のやり方では絶対再生するわけがない。

それを認識するべきだし
それを違うというならば
理由を聞かせてほしい。


元市長の榛村純一氏は
2009年の賀詞交換会で
「市役所を動かしたのは間違いだった」
陳謝している。



だからと言って
ネガティブなことばかり考えてもしょうがない。

やり方は、必ずある。

出来ないという
出口はないのだ。

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