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2009年04月28日

長浜と石田三成

長浜と石田三成

昨日から紹介している長浜。
魅力がいっぱいの街です。

特に今、大河ドラマで放映されている
上杉景勝の家臣、直江兼続の親友
石田三成の生誕の地なんです!


関ヶ原で破れ首を切られた
石田三成、みなさん、ご存知ですよね。

(1560―1600)
安土(あづち)桃山時代の武将。幼名は佐吉、初名は三也。近江(おうみ)国坂田郡石田村(滋賀県長浜市)の出身。正継の子。豊臣(とよとみ)秀吉の長浜城主時代にその俊敏さを認められ、近侍として仕えた。中国征伐、山崎の戦いにも従い、さらに賤ヶ岳(しずがたけ)の戦いに軍功を著し、1585年(天正13)秀吉が関白(かんぱく)になると、諸大夫12人のなかに選ばれて従(じゅ)五位下(げ)、治部少輔(じぶしょう)に叙任された。その後、秀吉の全国統一事業が進むなかで、股肱(ここう)の臣として枢機に参画し、太閤(たいこう)検地の実施の中心ともなった。大坂築城ののち、隣接の重要経済都市である堺(さかい)の奉行(ぶぎょう)も兼ねた。九州征伐には兵站(へいたん)のことをつかさどり、小田原征伐では関東の諸城の攻略にあたり、さらに陸奥(むつ)に進んで諸大名の所領替えなどを処理し、一揆(いっき)の鎮圧にもあたった。文禄(ぶんろく)・慶長(けいちょう)の役では名護屋(なごや)本営の設営、兵站、交通路の確保・整備にあたり、また奉行として渡海した。三成は武将ではあるが、その本領はむしろ吏務に長じ、五奉行随一の実力者として政務の処理にあたった。95年(文禄4)近江佐和山(さわやま)城主となり、江北で19万石余を領した。三成が所領内の民政に留意したことは著名である。秀吉の死後、徳川家康の勢威が高まるに及んで、毛利輝元(もうりてるもと)、宇喜多秀家(うきたひでいえ)らと謀って家康に対抗し、1600年(慶長5)9月美濃(みの)関ヶ原に戦ったが、小早川秀秋(こばやかわひであき)の裏切りによって敗北、ついに捕らえられて、10月1日京都六条河原で処刑された。

この人はすばらしい人です。
調べれば調べるほど
石田三成の奥深さにはまっていきます。

今年は、長浜の観光各所で石田三成の特集を
していますので、興味のある方は
長浜に行ってみましょう!



Posted by 遠州ナビ山下隆宏 at 15:54│Comments(0)
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