京都 竜馬の旅

遠州ナビ山下隆宏

2007年01月16日 14:48

1月19日から京都での
日本青年会議所の会議に出掛けます。

その名も 『京都会議』。かっこいい〜。

で、松下直前理事長と一緒に金曜日からいくわけですが
次の日は、1日空いているということで

『京都 竜馬の旅』に出掛けたいと思います。

行きたい場所
①寺田屋
末期、寺田屋は討幕派の定宿となった所。薩摩藩主同士の闘争事件、寺田屋騒動のあった場所として 知られる。当時の建物がそのまま使われており、刀傷や、弾痕は今も残っている。 また、坂本竜馬が後に妻となるお龍の転機で、危うく難を逃れた所としても有名。
②三条河原町付近
宮部県蔵を座長とした、尊王攘夷の志士22〜23人が三条小橋西詰め旅籠池田屋惣兵衛方にて 集合し、天皇を中心とした体制を作り出す為、以下のような蹶起のため集まった。 京都御所に火を放ち、出てきた天皇に一時適当な場所に動座してもらい、そこから 尊王攘夷の詔勅を発して頂く。反長州派の中川宮をとらえて幽閉して、 朝廷の人事を変えてしまい、長州藩をもって京都守護職とする。
この場では、「新撰組の壬生屯所を焼き討ちにし、新撰組隊士を皆殺しにし、 反長州公卿を討ち取り朝廷の主導権を長州派の公卿に握らせ、一同切腹する。」 ような無理のなさそうな案になったが、この場所での集会は、新撰組に情報が漏れており 近藤勇らに踏込まれ、1名を残して全員が無念の死を遂げた場所である。 この事件は幕末争乱の引き金となった。
③二条城
大政奉還の会議が行われた場所。
大政奉還
「十五代将軍慶喜が朝廷に政権を返した。」程度しか教科書には 書いてありません。ここに至るまでには討幕派と幕府を守ろうとする派の 壮絶な戦いがあった。徳川幕府は薩摩、長州の討幕連合に戦をもって 潰されようとしていました。しかし徳川幕府も力は弱ってきたといえ それなりの戦闘能力は持っていました。ここで戦になったら日本としての 体力が弱り、その隙に西欧諸国が入り込み、植民地になってしまうようなことも起こり得たでしょう。 たとえ討幕派が勝ったとしても、徳川は歴史上の悪者になってしまいます。300年近く 太平の世があったのも、徳川の力です。 坂本龍馬は考えました。「徳川が自ら政権を朝廷に渡してしまったら、徳川の名は後世まで 汚れることはなく、戦も起こらなく、外国から攻め入られることもない。」 この考え方は、坂本竜馬の師であった勝海舟の考え方でもありました。 この案は、戦をもって幕府を潰してしまおうと言う尊王派に受けいられませんでしたが この大政奉還の工作を行う為、坂本龍馬は駆け回りました。 一人の浪人が、当時の日本最高の権威の将軍を動かしたのでした。もちろん徳川慶喜は坂本龍馬を知らないし、 坂本竜馬は徳川慶喜に会えるはずはありません。その両人の考えが完全に一致したのが大政奉還です。
④近江屋跡
時は慶応3年(1867)11月15日。王政復古を目前に控え、まさに幕府の命運が尽きようとしていた時期に起きた悲劇であった。坂本竜馬33歳、中岡慎太郎30歳。下手人は見廻組と言われている。

 坂本竜馬の暗殺は、当時から犯人が特定てきなかった。明治になってから、元見廻組今井信郎が自白したため、一応決着を見たかに見えるが、不自然な点を指摘する声もある。

①死の寸前、中岡の証言によると、刺客は二人だったというが、今井の口供書では三人となっていること

②新撰組の犯行を示唆するような遺留品(鞘と下駄)があったこと。当然ながら新撰組が疑われたが、近藤勇は明確に否定していること。新撰組としては当然の職務であり、事実とすれば隠す必要はないはず。

③竜馬は事前のほんの三日前に近江屋に移ったばかりであったが、犯人は新しい潜伏先を知っていたこと。

④今井の裁判がごく内輪で行われ、世間に知れなかったこと。ずっと下手人を追っていた土佐の谷干城は三十年ものちに今井の自供を知っている。
 
 などなど…

というような場所ですな。
他にも、こんな場所に行ってみたらという情報がある方
教えてくださいね。


株式会社 ジャパン ナビゲーション

日本航海 という意味です。

navigation とは 飛行機を操縦する。船で航海する。という意味が
ホントの意味で、カーナビとかのナビゲーションは日本流な言い方です。

私が社名にした JAPAN Navigation とは
前にもブログで書いたように
坂本竜馬先生の思いが、見えかくれするような社名にしたかったのです。

『世界の海援隊でもやりますかいのう』
と仲間と共に出航することを楽しみにしていた竜馬先生。
志し半ばで、暗殺されてしまった悔しさ。

『日本を航海して、いろいろな人に出会いたい』

そんな思いを込めて名付けました。
海の天気は変わりやすく、シケや嵐に遭遇すれば
そこからすぐに逃げるわけにもいかない。

耐えるしかない。

海に生きる男は、危険と背中合わせ
心が強くなくてはならない。
どうしようもないとき
覚悟を決めて、じたばたせずにじっと耐える。

そんな強い企業になりたいと思います。