「年越し派遣村」村長の湯浅誠さんも同級
最近、内閣府参与を辞任した湯浅さん。
おもいきって権力に飛び込んでみたが
中々うまくはいかなかったみたいだ。
彼の活動もわかるが
雇う側の立場から見れば
全員が職につけるということは
非常に難しいと思う。
湯浅 誠(ゆあさ まこと、1969年 - )は社会運動家・活動家・自立生活サポートセンター・もやい事務局長・反貧困ネットワーク事務局長、元内閣府参与・緊急雇用対策本部貧困・困窮者支援チーム事務局長。テレビ・新聞などマスメディアに論評を求められることも多い。東京都小平市出身。21世紀初頭に顕在化した日本の貧困問題に関する活動と発言を続けている。
新聞社勤務の父と、小学校教諭の母の間に生まれる[1]。1988年に武蔵高等学校卒業後、1浪して東京大学に入学。児童養護施設のボランティアや映画鑑賞にのめりこんで授業にはあまり出席していなかったが、5回生の夏に一念発起し学者を志して勉学に集中、一時的にボランティア活動から離れた。 1995年の法学部卒業後は他大学の大学院に籍を置いた。翌1996年、東京大学大学院の法学政治学研究科に入学、日本思想史の研究に従事し、活動と勉学を両立させていたが、父の死などをきっかけに2003年に単位取得退学、活動に専念した。
1995年、大学院在学中からホームレス支援などに関わる。
2000年、炊き出しの米を集める「フードバンク」を設立。
2001年、ホームレスを支援する「自立生活サポートセンター・もやい」設立。
「もやい」事務局長職は無給であり、大学院を辞めてからは毎月数万円で生活していたが、『貧困襲来』発表後、講演会などの収入で多少は持ち直したという[2]。
2003年、便利屋「アジア・ワーカーズ・ネットワーク」設立。
2007年、「反貧困ネットワーク」結成を呼びかける。
時の特命担当大臣・竹中平蔵の発言「日本に絶対的な意味での貧困は存在しない」に反論する論文を雑誌「賃金と社会保障」に掲載したことがきっかけで編集者に声をかけられ、同年7月山吹書店から『貧困襲来』を著す。
2008年12月、著書『反貧困―「すべり台社会」からの脱出』により平和・協同ジャーナリスト基金賞大賞、大佛次郎論壇賞受賞。同月31日には、社会問題化したいわゆる「派遣切り」への緊急対策として、他のNPOと協力の上で日比谷公園に「年越し派遣村」を開設。“村長”として運営を取り仕切った。
2009年10月、菅直人副総理大臣兼国家戦略担当大臣に要請され、10月26日内閣府参与・緊急雇用対策本部貧困・困窮者支援チーム事務局長に就任[3][4]。
2010年2月、内閣府参与を辞任と報道される[5][6]。
内閣府参与としての仕事は、テレビでも紹介された[4]。
「年越し派遣村」村長就任の頃より内閣府参与としての仕事に携わる時期において、マスメディアによる報道その他に伴い、社会現象としての激しいバッシングに遭遇するようになった[7]。