がんばってる政治家・橋下徹さんとも同級
40歳でがんばっている人と言えば
橋下徹府知事!
いろいろな
バッシングを受けながら、よくやっていると思う。
すごくリスペクトしてます!
府知事の誕生日は 1969年6月29日。やまちゃんと同級です。
ウィキペディアに書かれていた
橋下府知事の紹介です。
橋下徹
本名(はしもととおる)
東京都渋谷区幡ヶ谷生まれ。小学校5年生の時に大阪市東淀川区東中島に転居。中学3年生の時に母親が再婚 [1]。大阪市立中島中学校を経て大阪府立北野高等学校卒業。高校時代の同級生には現自民党衆議院議員の川条志嘉がいる(中学時代は仲間と共に川条をいじめて川条が転校したというエピソードを『たかじんのそこまで言って委員会』で紹介したが、川条にはいじめられた記憶がなく、2007年12月、川条が橋下に電話で問いただしたところ、「作ってました。申し訳ございません。」と謝罪を受けた[2]。高校では偶然、再び一緒になった)。中学・高校時代はラグビー部に所属[3]。北野高校3年時には、第67回全国高等学校ラグビーフットボール大会大阪予選を勝ち抜き全国大会に出場。3回戦で伏見工と対戦し敗退(この試合は、近畿勢同士の対戦、かつ進学校VS名門校の対戦ということで話題を呼んだ。しかもこの試合が1988年(昭和63年)の元旦だったため、会場の近鉄花園ラグビー場が満員札止めになってしまい、同会場の客席改装に至ったとのことである)。後に高校日本代表候補に選ばれ東西対抗にも出場する。
高校での成績は進級が危ぶまれるほどだった。現役時代は早稲田大学の2学部を受験するも失敗。1年間の浪人生活を経て、再び早稲田大学5学部を受験。5学部全てに合格した中で、政治経済学部経済学科に入学。大学時代には家庭教師の派遣業を行っていた他、革ジャンの卸売業[4]に携わっていた。その仕事上の契約で200万円の不渡り手形をつかまされ今までの貯金を失う。この時、手形法などを勉強し、訴訟を起こしたことがきっかけとなり、弁護士を志す[1]。
早大を卒業した1994年に司法試験に合格。2年間の司法修習で法曹資格を得、1997年に大阪弁護士会に弁護士登録。大阪市内にある樺島法律事務所に1年間勤務。1998年、弁護士2年目という異例の早さで[5]大阪市内に「橋下綜合法律事務所」を設立する。示談交渉による解決を看板にする。弁護士としては珍しい飛び込み営業なども行い顧客を集め[6][5]、年間400~500もの案件を手がける。開業から1年足らずで大手保険会社と顧問弁護士契約を結ぶ。弁護士としての主な担当業務は企業コンプライアンス、M&A、エンターテイメント法、スポーツビジネスなど。尚、2008年2月6日に大阪府知事に就任と同時に弁護士業を休業した為、法律事務所の運営は事務所を法人化した上で所属の別の弁護士が行っている。
芸能事務所タイタンと業務提携し、自身のタレントとしてのマネージメントを委託している。また、同社の顧問弁護士を務めていた。
2007年12月12日、大阪府知事選挙に出馬することを表明。2008年1月27日投開票の大阪府知事選挙で183万2857票を獲得し当選。同年2月6日に大阪府知事に就任。現在は豊中市に在住。